本図は、江戸中期の元禄15年(1702年) の下総国(千葉県北部と茨城県南西部)の地図を復元したものです。
この地図は、江戸幕府が元禄9年(1696年)に日本国内の各国に命じて作らせ、元禄15年(1702年)に完成した下総国の地図「下総国高都合併郡色分目録」を元に作成しています。
「下総国高都合併郡色分目録」は測量して作っていないので、方角と距離が正確ではありません。曲がりくねった一本道や川は、単純な直線になっている場所が多く見られます。そのため、当時の地名を現代の地名の位置にあてはめ直し、方角の位置関係や、山や川、谷の地形等を考慮して、現代の地図上に位置を補正して当てはめています。利根川、江戸川、印旛沼、手賀沼など、川、沼、海岸線の形は現在とは異なっている部分がありますので、資料から当時の形にして記載しています。できるだけ正しく描こうとしていますが、正確性に限りがある点ご了解ください。
・ 「下総国高都合 併 郡色分目録」は、村毎の石高を記載した地図ですので、街道名や、有名な場所等はあまり描かれていません。これらの原図に描かれていない当時の街道、古城跡、寺社、陣屋、馬放牧地などを追記しています。
・ 隣接する他国(下野、常磐、武蔵、上総)側の境界の村、街道は、出典に記載した他国の地図を元に記載しています。他国の元禄年間の地図が無い場合は天保年間の地図で代替しています。
出典、参考情報
・国立公文書館デジタルアーカイブ (https://www.digital.archives.go.jp)より以下を参照しています。これらは国の重要文化財です。
「下総国高都合 併 郡色分目録」 (元禄15年) (1702年)
「常磐国高都合 併 郡色分目録」 (元禄16年) (1703年)
「武蔵国高村数 併 郡色分目録」 (天保9年) (1838年)
「下総国高村数 併 郡色分目録」 (天保9年) (1838年)
「上総国高村数 併 郡色分目録」 (天保9年) (1838年)
・現代の地図は、国土地理院タイル(http://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)を参照しています。