明暦の大火(1657年3月)の半年前の江戸の様子を想像して描かれた鳥瞰図です。江戸城を中心とした、東(図の右側)は隅田川、西(図の左側)は新宿までを描いています。この図では江戸城天守閣がありますが、明暦の大火により焼失した後に城天守閣が再建されることはありませんでした。

江戸城明暦図(全体) 立川博章画
江戸鳥観図 「江戸城明暦図」立川博章画

【明暦と幕末の違い】
幕末の江戸城図とは、町や城、埋立の様子が違うのがわかります。明暦の大火の未曽有卯の被害を経験し、火事が広がらないための火除地(明き地)や、屋根を瓦葺にしたり、火消の制度などの対策がとられるようになりました。橋の数も幕末よりは少なく、両国橋、新大橋、永代橋などの大川(隅田川)に架か/bv/bv03-nihonbashi/る橋は、この後に作られます。

大川(隅田川)の東側の本所、深川はまだ湿地が多くあまり開発されていませんでした。明暦の大火の後に本所、深川の開発が進み、江戸の町が東に発展していきました。

明暦の時代には、吉原は大川近くに集まっていた蔵屋敷、材木蔵の近く、現代の人形町のあたりにありました。
明暦の大火の後に吉原は浅草寺の北、現在の千束のあたりに移され、新吉原と呼ばれました。元の場所は元吉原と呼ばれました。

【明暦図の鳥瞰図について】
明暦の頃の江戸では、江戸末期と異なり様々な情報が非常に少ないため、立川博章氏は以下のようにお断りを記載しており、想像図という位置づけにされています。

お断り
本図は明治17年に完成した参謀本部陸軍部測量局の五千分の一東京図の上に、明暦3年正月江戸日本橋二丁目太郎右衛門板本による新添江戸之図を描き入れたもので、資料不足により学術的に正確なものではない。その時代の東京(江戸)を空から見るとこういうものかと云う私の勝手に想像した鳥瞰図である。
平成18年1月20日 立川博章

参考資料

  • 江戸→TOKYOなりたちの教科書3 東京の基盤をつくった「武家屋敷物語」
    岡本哲志著 淡交社 2018年発刊 ISBN 4473042707
    江戸の大名屋敷の配置の変遷を説明しています。江戸初期、江戸中期、幕末にと 大名ごとに親藩大名、譜代大名、外様大名、旗本の屋敷が配置されたかを地図で示し、また大名家家ごとの屋敷の移り変わりを記載しています。