文久2年(1862年)頃の愛宕山のはるか上空から東方向の浜離宮をのぞむ鳥瞰図です。図の下にある山が愛宕山です。
現在の虎ノ門駅、御成門駅、新橋駅、浜御殿付近の絵図です。

愛宕図・鳥観図
江戸鳥観図「愛宕図」 立川博章画

【愛宕山】
愛宕山は江戸街中の自然の山としては一番高い山(標高26m)で、街が見渡せる眺めの良い人気のある当時の名所でした。この図の右下の木が茂る山が愛宕山です。 図の上中央に今の浜離宮、当時の浜御殿が見えます。 現代で言うと地下鉄御成門、虎ノ門、神谷町の中間あたりの港区愛宕一丁目にあたります。頂上にある愛宕神社までの急な石段の坂が「出世の石段」として知られています。
空から見ると高い山には見えない標高26mの山ですが、東側の男坂の参道下から見上げると非常に急な上り坂階段です。 

この図では築地・西本願寺、芝増上寺の北側の本坊、現代の浜松町付近までが見えます。遠くの江戸入江(現代の東京湾)に荷を運ぶ帆船が見えます。

【江戸時代のパノラマ写真】
「愛宕図」は、立川博章氏が作成した江戸鳥観図シリーズの最初の作品です。幕末に来日したイタリア生まれの写真家フェリーチェ・ベアトが、愛宕山から撮影した次のパノラマ写真をヒントになって鳥観図を描き始められたそうです。それに切絵図(江戸時代の地図)、明治時代の地図、風景の浮世絵、その他多くの資料から作成したのがこの鳥瞰図です。

F・ベアトの愛宕山パノラマ写真
F・ベアトの愛宕山パノラマ写真

【現代と江戸時代の愛宕山周辺比較】
江戸時代と現代の鳥瞰図を見比べてみましょう。左が江戸時代の立川氏の鳥観図、右が現代です。

今も昔も愛宕山には愛宕神社があるのがわかります。建物や埋め立て地は大きく変わってしまっていますが、 道筋はあまり変わっていないことがわかります。大きな掘割は埋め立てられ、高速道路や主要道路になっています。
江戸時代では愛宕山から図の左上の築地本願寺の大屋根が見えました。
図の下側は武家屋敷で、一つ一つの建物が大きいのがわかります。江戸時代は浜御殿の西(図の下側)に会津藩下屋敷がありました。
その西(図の下左右)に屋根の小さな建物が連なっているのがわかります。これは町民が暮していた町屋です。

愛宕山 文久2年(1862年)立川博章作
愛宕山 文久2年(1862年)立川博章作
愛宕山 現代(2011年) Google Earth航空写真
愛宕山 現代(2011年) Google Earth航空写真

参考資料

国立図書館デジタルコレクション「錦絵でたのしむ江戸の名所ー愛宕山」(https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/atagoyama/?tokyo=minato)
愛宕山は多くの錦絵に描かれ、上記から見ることができます。