文久2年(1862年)の江戸城から南方、現在の品川区のほぼ全域、目黒区、港区の鳥瞰図です。「城南図その二」の北側半分です。
嘉永6年(1853年)にペリー来航を機に、海上防衛のために江戸入江(今の東京湾)に御砲台が設置されました。当初11基の砲台を設置する予定でしたが計画が途中縮小され、第七砲台が埋め立て終了後に工事が終了しました。第四砲台は作成されずに終わりました。この鳥瞰図でも御砲台が見られます。
渋谷村、麻布村、広尾原あたりやその南部、西部は田畑が多く農村部であるのが見えます。
東海道の起点は「日本橋」ですが、東海道は図の右上の「京橋」を通り、増上寺の前を通って金杉橋を渡り、海岸沿いの高輪木戸を通って、この図の南側にあたる「城南図その二」の品川宿を通っていきます。
東海道から少し入った所にある泉岳寺は、播州赤穂四十七士の討ち入り後に、泉岳寺にある主君の墓に参ったことで有名です。
その南にある「東禅寺」は、江戸時代の観光ガイドブック「江戸名所図会」に載っている名所でした。
名所の錦絵は沢山作られましたが、国立図書館デジタルコレクション「錦絵でたのしむ江戸の名所」で見ることのできるこの地図の東海道の範囲の錦絵は以下の通りです。
- 目黒白金辺
- 金杉橋
- 芝浦 (芝口(=現在の新橋)から本芝(=現在の田町)の漁場の錦絵
- 高輪 (高輪木戸付近)
- 高輪牛町